教会はキリストの体です

 

イエスキリストを主と認めるものはすべて、キリストの体である教会に所属しているのです。

 

ローマ10:9

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

 

コロサイ 1:24

「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」

 

Tコリント12:27

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」

 

エペソ5:30

「私たちはキリストのからだの部分だからです。」

 

キリストの体である教会はいろいろな部分から成り立っているのです。 すべての人が同じ、教会での役割や、召しを委ねられているわけではないのです。 神は、私たち一人一人が同じことをするようには作られなかったのです。

 

 

他のクリスチャンも大切なのです

 

私たちは他のクリスチャンも認めるべきであって、批判をしてはならないのです。 神はある特定の人たちだけにすべての知識を与えられたのではないのです。 私たちは他のクリスチャンがどのような召しを神から受け取っているのかを知らないのですから、単純に彼らは神の御心に忠実に歩んでいるか、ないかをさばくことはできないのです。

 

私たちは他のクリスチャンが、あたかも自分の体の一部分かのごとく、支え、励し、祝福を与え、祈ってゆかなければならないのです。 

 

 

それぞれことなる働きと役割

 

私たちにとっての大きな誘惑は、すべての人が、私たちがしているようにふるまうべきであると考えてしまうことなのです。 神様は私たちにあることがらの必要性と、重要性を明らかに示して下さったのです、ですから私たちは神様が召してくださった働きをすることができるのです。

 

私たちが知るべきことは、私たちはキリストの体の頭ではないということなのです。 私たちは主であるイエス様から指令を受ける一員にすぎないということなのです。 

 

神様はすべての人々を愛し、助けようと願っておられるので、人々の理解できるレベルと方法で働いてくださるのです。

 

あなたとまったく同じような人物はこの世に存在しないわけですから、神に仕える奉仕者も各々違ってくるわけなのです。

 

 

 

 

 

 

それぞれことなる賜物

 

ローマ 12:4−8

「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。」

 

多くのメンバーから成り立つ

 

Tコリント12:12、14,17−27

「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」

 

「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。」

 

「もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。 そこで、目が手に向かって、 ”私はあなたを必要としない。” と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

  また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、

  かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」

 

 

それぞれのメンバーが異なる役割を果たすのです

 

エペソ 4:11−16

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、

 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

 

 

 

 

 

他の人を裁いてはいけません

 

ローマ 14:4

「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。 このしもべは立つのです。 なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」

 

おそらく、私たちは他のクリスチャンの働きを完全に同意したり、理解したりすることはできないでしょう。 なぜなら私たちに委ねられた務めがそれぞれ違うためなのです。 私たちは主イエスキリストがもっておられるような完全な理解と知識をもっていないのです。

 

ローマ 14:10,13

「それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。」

 

「ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。」

 

 

分裂

 

悪魔は、なんとかして、またあらゆる方法を用いてクリスチャンの間に分裂と争いをもちこもうと躍起になっているのです。 私たちは悪魔に対抗し、神と共に平安と愛をもって歩まなければならないのです。

 

マルコ 3:24

「もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。」

 

Tコリント 3:3

「あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」

 

ユダ 1:19

「この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」

 

テトス 3:10

「分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。」

 

Tコリント 1:10,13

「さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」

 

「キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。」

 

キリストが愛したように私たちも愛する

 

私たちがイエス様に従っている人たちを非難しているなら、それはまさに私たちの霊的未熟さを表しているのです。

 

イエス様は私たちが非利己的で、自己犠牲的な愛を持つように言われました。 イエス様は私たちがイエス様のような愛をもち、周りの人々に示してゆくならば、周りの人々は私たちがイエス様に従っているものであると認めるであろうと言われました。

 

ヨハネ 13:34−35

 

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」