新しい戒め

信仰に満ちたクリスチャンは、新約聖書の教えに基づいて一つの戒めにそって生活をしているのです。 その戒めとはイエス様が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合うということなのです。

この隣人を愛するというたった一つの戒めを守ることによって、他の多くの、罪をとどめる戒めを守ることになるのです。

ヨハネ 15:12

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

ヨハネ 13:34

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

Tヨハネ 3:23

「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」

”互いに愛し合いなさい”という聖書の中でのたった一つの戒めが神の御心の中での一番大切な部分を表しているのです。 しかし、この戒めには様々な面があり、また効果があるのです。

 

神が示されるような愛を私たちが周りの人に示すならば、私たちの神にある生活のしるしとなるのです

Tヨハネ 3:10、14−15

「そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。 」

「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。 愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。 いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」

一般の人々や、救いの経験をしていない人々は、イエス様が示されたような愛を周りの人にに表す力は持ち合わせていません。 私たちが神の愛を周りの人に表すためには、私たちの中に神の命が流れている必要があるのです。

ローマ 5:5

「この希望は失望に終わることがありません。 なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

Tヨハネ 4:7−8

「愛する者たち。 私たちは、互いに愛し合いましょう。 愛は神から出ているのです。 愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」

ヨハネ 13:35

「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

 

愛によって律法は全うされるのです

ガラテヤ 5:14

「律法の全体は、 ”あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” という一語をもって全うされるのです。」

ローマ 13:9−10

「”姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。” という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、 ”あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” ということばの中に要約されているからです。 愛は隣人に対して害を与えません。 それゆえ、愛は律法を全うします。」

 

愛はどのようにふるまうのでしょうか

神の愛に基づいて私たちが歩まないならば、私たちは憎しみよって歩んでいるだけでなく、自己中心的な態度で歩んでいることになるのです。

Tヨハネ 3:16−18

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。 それによって私たちに愛がわかったのです。 ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」

エペソ 4:31−5:2

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。 また、愛のうちに歩みなさい。 キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」

愛こそ神の御性質であられるのです。 神は私たちが神御自身が表されるような愛に満ちた人となってほしいと願っておられるのです。 

 

愛によって私たちは支配されるべきなのです

Uコリント 5:14

「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。 私たちはこう考えました。 ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」

Tコリント 14:1

「愛を追い求めなさい。」

Tヨハネ 5:3

「神を愛するとは、神の命令を守ることです。 その命令は重荷とはなりません。」

Uヨハネ 1:6

「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。」

 

愛がなければ、あなたは無に等しいのです!

Tコリント 13:1−3

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」

 

愛とは何なのでしょうか?

Tコリント 13:4−7

「愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」

 

愛は勝利をもたらします

Tコリント 13:8

「愛は決して絶えることがありません。」

Tヨハネ 2:10−11

「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。 やみが彼の目を見えなくしたからです。」

ガラテヤ 5:6

「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」

 

結論

Tヨハネ 4:19−21

「私たちは愛しています。 神がまず私たちを愛してくださったからです。 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。 目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。 私たちはこの命令をキリストから受けています。」