プライドがあっても自分で気づかないことがあるのでしょうか?

 

はい! ペテロはそうでした。 ペテロは自分は大丈夫だと思い込んでいました。 しかし実際にはそうではありませんでした。 

マタイ 26:31−35

「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。 ”あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。” すると、ペテロがイエスに答えて言った。 ”たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。”   イエスは彼に言われた。 ”まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。”   ペテロは言った。 ”たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。” 弟子たちはみなそう言った。」

ペテロは自分の力に頼っていました、またペテロそれでよいのだと彼自身は決心していました。 彼はイエス様と議論したのです。 ペテロは彼自身の力に自信をもっていました、またペテロは決してイエス様を否定することなどしないと硬く決意していました。 しかし、ペテロはイエス様を否定したのです。 

もし私たちが、自分達の力だけでは、本当に弱いものであると認めないならば、私たちの側にプライドの問題があるのです。 あなた自信の肉の力だけでは、あなたは本当に弱いのです。 もしあなたがあなた自身、またあなただけの考えに信頼するならば、あなたはいつか失敗してしまうでしょう。

 

マタイ 26:41

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

 

イエス様はこの41節で、私たちとって極めて大切なことを語られました。 肉体は弱いわけですから、私たちは祈り、誘惑に陥らないように心を見張っていないといけないのです。 

 

マタイ 26:75

「そこでペテロは、”鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。” とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」

激しく泣くというのは、ある人のプライドが打ち砕かれるときによくあることなのです。 ペテロはイエス様の受ける苦しみのゆえに、泣いていたのではなく、彼自身が受ける心の苦しみのゆえに泣いていたのです。 ペテロは失敗の痛みのゆえに苦しんでいたのです。 ペテロは自分のしたこと、またいまいまで勝手に思いこんでいたような自己象が間違っていたことに気づいたのです。 あなたが自分自身で考えていたほど、自分は良く、しっかりとしていなかったと現実の姿に直面することは痛みを伴うことなのです。 

ピリピ 3:3

「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」

肉的な力に信頼することは ― たとえあなたが世界のチャンピオンのような肉的な力を持っていたとしても ― 危険な状態なのです。

 

神は私たちにとっていつも最善を願われるのです。 ですから、神は私たちがいずれ失敗に終わるようなものに(私たち自身)信頼してほしくないのです。

あなたは神と神の言葉に全面的な信頼を寄せなければならないのです。 あなたの知識、能力に信頼することがないように注意しなければなりません。 失敗を避けるためには、絶え間なく祈るという生活習慣が必要なのです。 あなたはすべてのことについて祈る必要があるのです。 神の導きを得るために、いつも神を見上げ、油断してならないのです。 そして、あなたは、あなた自身の考えではなく、神の御言葉を信じ、受け入れ、実行する必要があるのです。

あなたは何にプライドを持つのですか?  たとえあなたの信頼するものがどんなに良いものであったとしても、それがあなたにとって、神の御心を行うことよりも大切なであるという偶像にならないように気を付けてください。 

神と共に、謙遜に歩んで下さい。 神はすべてのことをご存知なのです。 祈りに励んで、聖書をよく読んでください。 神と親しい関係をもち、神と共に歩んで下さい。 また常に神の導きを求め、神に従ってください。