決して批判的になってはいけません

 

誰にたいしても決して批判的になってはいけません。 人の前でも、その人の背後においても!

もしだれかに注意しなければならないとき、その人の置かれた立場に立ち、批判的にな感情をもたずに注意をする方法があるのです。 助言は柔和な心をもって助言することもできるのです。 

ガラテヤ 6:1

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。」

 

他の人々に対して、批判的になるということは、 あなたは彼らよりも優っていると考えているから批判できるのでうす。 私たちには裁く資格はないのです、神様だけが裁く権利をもっておられます。   だれでも他人に対して批判的な人は、プライドを持っている人です。   プライドとは何でしょうか、それは自分を実際以上に賢く思っている人です。  

詩編 101:5

「陰で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。高ぶる目と誇る心の者に、私は耐えられません。」

 

私たちはある人を仕事を依頼するときにおいて、その人を信頼するか、または取り引きをするかどうかという範囲内で、人を評価すべきです。 私たちは人の悪口を言うことは慎むべきです。

 

舌は死の毒に満ちています

 

箴言 12:18

「 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」

 

つまらぬおしゃべりは剣よりも、悪影響をもたらすのです。 言葉は人を傷付けることもあります。 言葉によって殺し、盗み、破壊をもたらすことになるのです。

ヤコブ 3:6,8

「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲへナの火によって焼かれます。」

「しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」

 

神の力によってのみ舌をコントロールすることができるのです。   舌が神の支配下にない限り、舌は大きなトラブルをもたらす原因となってしまいます。

 

人を裁いてはいけません

マタイ 7:1-3

「さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」

ルカ 6:38

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

ローマ 2:1

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。」

ローマ 14:4

「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」

ヤコブ 4:12

「 律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」

 

 

悪口を言う

Tテモテ 3:11

「 婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。」

 

Uテモテ3:3

「情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり」

 

テトス 2:3

「 同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。」

 

これら三つの御言葉の中にある悪口、中傷 (英語では slanderes) という語はギリシャ語の ディアボロス (diabolos) という単語から訳されています。   これらの三つの御言葉以外の聖書の箇所においては、なんと ”悪魔” と訳されているのです。

ディアポロス には付加された意味があり、中傷、不正に責め立てるという意味があります。 この単語はこれらの三つの御言葉の中で名詞として使われ、他人のあら捜しをする人、 批判、当てこすりをひろめるという意味を表しています。

 

うわさ話をしてはいけません

 

Tテモテ 5:13

「そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。」

おせっかいをする人とは、 ひとびとの問題に対し、すぐ干渉する人のことを言います。 あなたが、祈りも含めて、自分のすべきことに全力を尽くすなら、周りの人々へ干渉する時間はないはずです。   あなたが周りの人々すべきことは、悪いうわさばなしではなく、彼らのために祈る必要があるのです。

Tテモテ 5:13 (新共同訳)

「おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。」

 

ローマ 1:29-30

「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者」

 

 

悪口を言ってはならない

ヤコブ 4:11

「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。

 

Tペテロ 3:10

「「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、」

 

ヤコブ 5:9

「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」

 

もし誰かが悪口を言っているならば

Tペテロ 4:11

「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、」

”語る人があれば” という意味は、あなたはすべて自分の中にある思いを口に出す必要はないということです。 もしあなたが語るなら、神様だったら、このような状況でどう語るだろうかということを考えて、語って下さい。 御言葉を語って下さい。 ただ単に言うべき事柄が真実であるからといって、あなたがすべて、そのことについて話す必要はないのです。   ただ静かにしておくこともできるのです。

箴言 10:19

「ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。」

箴言 17:9

「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことを繰り返して言う者は、親しい友を離れさせる。」

あなたの知っているすべてのことを他人に話す必要はないのです。 あなたが聞くすべてのことを、あなたが他人に話すなら、それは大変愚かなことなのです。   ただ口を閉じておくこともできるのです。 

 

エペソ 4:29

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」

 

もし私たちの話すことばが、聞く人の益にならないならば、神様にとって私たちの言葉は悪い言葉となるのです。

 

エペソ 4:15

「むしろ、愛をもって真理を語り」

 

語るべきことがただ単に真理であるだけでなく、聞く側にとって必要なことで、益になるようでなければ、そのことを語る必要はないのです。 決して、人に対して無情に厳しく語ってはいけません。

私たちが、愛にあって真理を語ることのできる範囲において、私たちは真理を語ることができるのです。 まずその人の立場、気持ちを理解してから、話すべきです。 もしそうすることができないならば私たちは静かにしておくべきです。

ただ言うべき事が真理であるということだけでなく、キリストの体といわれる教会全体を守り、益になるために、必要であるならば語ることはできます。 また語るときにおいても、その人たいして、謙虚でな態度で、神の愛を表しながら語ることもできるのです。