なぜ教会は新しい構造を必要とするのでしょうか?

 

構造とは組織、あるいは建造物等がどのように成り立っているかを示したものなのです。

**現在の教会の構造では、近い将来起こるであろう大リバイバルによって救いに導かれる、数多くの人々を収容しきることはできないでしょう。 すべての人々に注がれる偉大なる神の霊は、多くの魂の収穫を迎え入れることでき、育て上げることができる新しい構造がどうしても必要となるのです。 

現在の組織構造では、教会が大きく成長するにつれて、人々の面倒をみたり、また連絡し合うことのできるようなシステムではないのです。 多くの人人々が無視されて、信仰から離れ去ってゆくことが、たとえ小さな教会でも起こりうるのです。

もしあなたの町で、一万人もの人が救われてあなたの教会に来たとしたらどうしますか? もし神が驚くべき方法で、あらゆる病の人をいやし、死人をよみがえらせることにより、多くの人が救われるならば、あなたの教会はどのように対処しますか?

**現在の教会構造では弟子作りと弟子増殖(倍加)を促進させていはいないのです。

福音を世界中に伝達するための唯一の方法は、継続的な弟子の倍加以外に方法はないのです。 ただ単に救われる人を増し加えてゆくやり方では不可能なのです。

57億の人々が世界の人口として、毎日あるクリスチャンの団体が1000人の人に福音を述べ伝えたとします。 しかしそれでもなお、15,700年もの年月がかかるのです。 しかし、2という数字をわずか33回倍加するだけで世界人口の数を超えてしまうのです。 

**現代において、私たちが生きている世の中はかなり変わってきているのです。 しかし多くの教会はこの世の中の変化に適切に対応していないのです。 どのようなことが変化したのでしょうか?

* 急激な都市化 (田舎における若者の流出、高齢化)

* 24時間 勤務体制

* 多くの独身者や多くの母子家庭

* 多くの女性が家庭外に仕事をもつ

* 有り余るほどの娯楽施設と様々なイベント

何百年もの間、教会は基本的に同じような構造を維持し続けていました。 しかし、私たちの生きている社会が変わったのです。 もはや、田舎の農場での2世帯同居家族ではないのです。 何十年も前は、教会以外に行く娯楽施設というもの自体があまりなかったのです。 (特にアメリカにおいては)

** 習慣というのは容易に変えることはできません。 クリスチャンは日曜日の朝に教会に行くことが習慣化しているのです。 しかし罪人はそうではないのです。 習慣を変えることは本当に容易なことではないのです。

あなたはまだ救われていない人達のことを考えていますか? 現在の教会の状態でまだ救われていない人達が教会においての活動的なメンバーになると思いますか?

麻薬から解放された、少数民族の母子家庭の人達へは、教会はどのように伝道したらよいのでしょうか? やくざの人達を教会においてどのようにケアすればよいのでしょうか? 日曜日に仕事がある人達はどうすればよいのでしょうか? これらの人々は教会の礼拝日程に合わせることができるのでしょうか?

** もし将来、私たちが生活する社会が反キリスト教社会だったらどうしますか? もし軍隊があなたの町に来て、あなたの教会の建物を破壊して、その後、立て直してはならないという法律ができたらどうしますか? 

ほとんどの教会において、もし教会における牧師と建物を失うならば、その教会にいるクリスチャンの人たちはすぐに死んでしまうでしょう。

** クリスチャンはスポーツの観客か、見物人のように訓練されているのです。

ほとんどのクリスチャンの行事は説教を聴くことが主な活動になっているのです。 人々は、活動によって訓練されるのではなく、ただ単に講義を受けているのです。

専門家によれば、私たちは聞いたことの90%は忘れ去るそうです。 しかし、私たちの活動をとうして習うことはほとんど忘れないそうです。 私たちは活動を通して、何かを習うのです。 イエス様は ”私に従ってきなさい” と言われました。 ”私の言うことをただ聞きなさい” とは言われなかったのです。 

大変少ない人数のクリスチャンしか弟子作りの増殖(倍加)に取り組んでいないのです。 教会の奉仕は神学校、聖書学校等を卒業した人達だけに委ねられているのが現実なのです。

私たちが人々を訓練するように訓練しないならば、それはまさにこれから救われてゆく人々を訓練しないように訓練していることになるのです。

**創世記 1:11,24 には

「種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ」 という御言葉があります。

人々は私たちが言うことよりも、私たちの行うふるまい、活動を通して訓練を受けるのです。 他の何よりも私たちクリスチャンはただ集会に参加して、説教を聴くという訓練をよく受けているのです。

何であれ、牧師や指導者が時間を割いてしていることが、人々にとって最も大切なことであると伝達されるのです。 ですから、無意識のうちに人々は優先順位を決めてしまっているのです。 

あなたや、私が何かをしている理由は何のなのでしょうか、それは単純なことなのです。 私たちは他の人々がやっていることを見て、行動に移すのです。 

** 今、教会が行っていることでは仕事は完了しないのです。 教会がただ少しずつ足し算的に増えている間に、世界の人口に倍加し続けているのです。 

**教会が今していることは聖書的でない部分があるのです。 これがもっとも教会の構造を変えなければならない理由なのです。 

創世記 1:28

「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。 ”生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。”」

天国を多くの人で満たす神の計画はこの地上を人で満たされた方法と同じなのです。 それは倍加によるクリスチャンの増加なのです。

 

イエス様

マタイ 28:18−20

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。 ”わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。 わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。”」

イエス様は弟子たちに、”命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい”と言われたようにさらに他の弟子を作りなさいと命じられたのです。

マルコ 3:14

「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ」

マルコ 9:30−31

「さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。 イエスは、人に知られたくないと思われた。 それは、イエスは弟子たちを教えて、”人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。 しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。” と話しておられたからである。」

マタイ 4:19

「イエスは彼らに言われた。 ”わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。”」

イエス様は、決して多くの人達に一度に伝道されようとはされなかったのです。 実際にイエス様は大衆に伝道をされようとされましたが、イエス様ご自身で大きな集会を計画したりはされなかったのです。 イエス様の優先順位は弟子を作り上げて、イエス様の働きが継続されるように弟子たちを訓練されたのです。

パウロ

使徒 20:4

「プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが」

Uテモテ 2:2

「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」

パウロ自身もイエス様のされた同じ方法で弟子作りに関わり、弟子たちが他の人々をさらに弟子としてゆくように訓練を施したのです。

 

教会の建物

ほとんど人がこのことを知って驚くのですが、新約聖書の書かれた時代の教会には、教会用専門の建物というものが存在しなかったのです。 聖書には教会は建物をもっていなければならないとは述べていないのです。 教会の建物に関しては新約聖書において具体的に述べられていないのです。

建物は確かに便利ですし、役に立ちます。 教会の建物に関して、(掛かる経済的負担以外に)の弱点は教会成長を制限してしまうことなのです。

教会建物中心の教会はどのような教会であっても、教会堂の大きさによって教会成長が制限されてしまうのです。

教会の建物によって、教会員が教会の建物の外に出て行って人々に伝道するかわりに、教会員が教会内でいつも活動をするように促進してしまうのです。

私たちはイエス様を中心に置かなければならないのです。 そして身近にある資源を有効的に使ってイエス様の御名によって人々を助けてゆかなければならないのです。 私たちはすべての時間と金を、自分たちのためだけに教会堂につぎ込まないようにしなければならないのです。

私たちは教会建物中心の考えをもつように訓練を受けてきたのです。 多くの場合、教会によって私たちが助けを得るのではなく、私たちが教会を支えているようなスタイルとなってしまっているのです。 多くのお金と時間が建物に費やされてしまっているのです。

私たちは教会に人々が来ることをあてにしてはならないのです。 ほとんどの人は定期的に教会の建物に来ようとしませんし、また来ることができないのです。

教会建物中心の方法ではいつか、教会成長が建物のサイズによって妨げられるのです。 特に大きな都市においては建物中心の教会は継続的な成長を阻害してしまうのです。

 

どのような構造が必要なのでしょうか?

* 神が中心であり、聖書の教えが中心である教会です。 ある特定の人や、教会の建物が中心の教会ではないのです。

* 世界的ビジョンをもった教会です。 私たちの生きている間に世界中に伝道できる教会です。

* 人々が神と共に歩むことが教えられ、訓練される教会です。

* 教会に来る一人一人が教会員であると心から認識できる教会です。

* 人々が定期的に聖書の教えを受け取り、また他の人と分かち合うことのできる教会です。  何かを習う上で最良の方法は他の人にそのことを教えてあげることなのです。

* 人々が定期的に献金よって礼拝を捧げることのできる教会です。

* 弟子を迎えいれ、必要な訓練を施し、またさらなる弟子化が弟子によってできる教会です。 また弟子には謝儀などのシステムが組み込まれたシステムです。

* 教会の急成長にも対応でき、教会の成長に制限を設けない教会です。

* 教会員をスポーツ観戦客であるかのように奨励するようなキリスト教会のあり方を変える教会です。

* 人々に適切なケアが与えることのできる教会であり、また人々が必要に応じて連絡の取りあうことのできる教会です。 私たちはだれも無視されたり、忘れられることがないように注意深く確認しなければならないのです。 また教会に来られる人が、適切な牧会者からのケアとカウンセリングを受けることのできる教会です。 教会員が、ただコンピューター上に名前が載っているだけのメンバーや、大衆の中の顔だけしか知らない一個人にすぎないような状態を避けることのできる教会です。

* 時間と場所によって制限を受けない教会。 人々は彼らのいる場所で、そのままの状態で助けを受けるべきなのです。 人々が無理をして、スケジュールを変更したり、仕事をやめたり、引っ越したりしまでしする必要はないのです。

* 建物中心の教会ではではない教会です。 すべての集会がある一定の時間に、ある一定の場所で行われるのではなく。 人々にとって都合のよい時間と場所で会うべきなのです。

* 人々のスケジュールを劇的に変えなくてもよいような教会です。 習慣というものを変えることは難しいことなのです。

* 多くのリーダーを産み出し、教会にとどまることのできることできるようなシステムをもつ教会です。

* 専門的な教育を受けた人だけが主の奉仕をするのではなく、すべての教会員が活動的に弟子増殖(倍加)の働きに加わっている教会です。

* 教会にくる人々が適切な訓練を受けて、霊的に繁殖することが促進される教会です。

* 人々が、ただ講義を聴くだけでなく、活動を通して訓練を受けることのできる教会です。 イエス様が言われたことを忘れないで下さい。 ”私に従ってきなさい” であって、”わたしの言うことをただ聞きなさい”ではなかったのです。

* 主の御言葉の奉仕(セルリーダー)をするすべての人に経済的な援助(謝儀)ができる教会です。 この点こそが現在の教会構造の上で最も、制約を受けている部分なのです。

 

良く考えて、決断してみましょう!

あなたの教会の構造、教会活動の内、どれほどのことが御言葉にかなったことでしょうか? どれほどが単なる伝統なのでしょうか? 

あなたの今いる心地よい伝統にしがみついて、イエス様に従うことを拒むのですか?

どうか知性のないロボットのようにならないで下さい。 ただ単にいままで伝統的にことがなされたからといって、同じようにものごとに取り組まないで下さい。

もしあと2,3年でイエス様がこの地上に帰ってこられるとしたならば、いままでどうりの方法であなたの周りの人に伝道をしますか?

聖書こそがあなたを導く指針としてください。 イエス様と最初の使徒達のやり方を真似てください。

私たちには革命的な変化が必要なのです、ただ単に今ある教会の構造にリバイバルがなされるだけでは十分ではないのです。

ルカ 5:38

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。」

イエス様は私たちがイエス様のメッセージを世界中に広げることを命じられました。 イエス様の方法とは弟子を増殖(倍加)することであり、ただ人を救いに導くだけが務めではないのです。 ですから、私たちの教会の構造自体が弟子が倍加し、また収容できるように促進してゆかなければならないのです。

私たちはただ教会の建物内だけや、伝統によって制限されてはならないのです。 私たちは聖霊の導かれる変化に対し、柔軟な態度をもって受け入れなければならないのです。