アカンの罪

アカンは神の導きに従わず、自分勝手な道を選びました。

彼の罪は不従順だったのです。

アカンは神の指示どうりに従いませんでした。 アカンは神の計画に従ったのではなく、彼自身が作り上げた計画に従ったのです。 

アカンは、本来神に属するものを勝手に自分の物としたのです。

アカンは二重の生活を送ろうとしました。 彼は偽善者でした。 

人間はいろいろな計画を作り出します。 しかし、これらの計画が神のご計画でないならば、必ず失敗に終わるのです。 私たち人間が勝手に作り出した計画は、人の目には合理的で、正しく見えるかもしれませんが、私たちは神ではありません。 私たちはそのことを知っておく必要があります。

 

アダムとイブ

エデンの園において、アダムとイブはアカンがしたようなことと同じことをしたのです。 アダムとイブは神から言われたとうりに行動せず、自分勝手な行動を取ったのです。

なぜでしょうか? 悪魔がアダムとイブに彼ら自身が作り出した(人間本位)の計画、考えが一番だといいきかせ、彼らはそのことが正しいと信じたのです。 アダムとイブは、神が彼らに最高のものをもたせたくないという、間違った教えを信じてしまったのです。  

 

姦淫

多くの人は神の教えを無視して、自分本位な考えで姦淫を犯します。 神は聖書をとうして、明確に姦淫をしてはならないと述べています。 しかし、多くの人は姦淫の罪を犯すのです。

なぜでしょうか? 悪魔と肉的な思いが彼らに圧力をかけるのです。 姦淫をする人たちは、罪を免れることができるだろうと信じています。 彼らは神が何か良いものを彼らの生活から奪っているという、間違った考えをもっているのです。 

 

十一献金

十一献金はどうでしょうか? 神の御言葉によれば、私たちは十一献金をするように述べられています。 あなたは十一献金をしますか? 他のすべてのクリスチャンは十一献金をしますか? なぜ彼らは十一献金をしないのでしょうか? このことも他の例と同じことではないでしょうか? 悪魔は必死になって、神は私たちから最善を奪っているのだと信じさせようとしてるのです。 神は本当に、私たちからお金を奪おうとされているのでしょうか。 

 

エリコ

エリコは神の助けによって得ることのできた、最初の実なのです。 神は常に最初の実を神ご自身のものであると宣言されます。 

ヨシュア 6:16−20

「その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言った。 ”ときの声をあげなさい。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。 この町と町の中のすべてのものを、主のために聖絶しなさい。ただし遊女ラハブと、その家に共にいる者たちは、すべて生かしておかなければならない。あの女は私たちの送った使者たちをかくまってくれたからだ。 ただ、あなたがたは、聖絶のものに手を出すな。聖絶のものにしないため、聖絶のものを取って、イスラエルの宿営を聖絶のものにし、これにわざわいをもたらさないためである。 ただし、銀、金、および青銅の器、鉄の器はすべて、主のために聖別されたものだから、主の宝物倉に持ち込まなければならない。” そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。」

神はエリコのことに関して、ヨシュアに明確な指令を与えました。 神から与えられたご計画は、一見奇妙に見えましたが、良い結果をもたらしました。 この出来事が約束の地においての最初の征服だったのです。 

神は彼らに攻め入った土地に入って何も、自分のものとしてはいけないと言われました。 18節における”聖絶”という意味は奉納物という意味があります。 神はすべての町が神ご自身に捧げられたものだと言われました。 金属以外のすべてのものは破壊されるべきものだったのです。

神は彼らが祝福を受けさせないように仕向けたのではありません。 なぜ、神は彼らに約束の土地を与えたのでしょうか? 神は彼らに彼らの努力で得た富でない富を与えようとされたのです。 神はすべてのものを彼らに与えておられたのです。 確かに、彼らは神の助けによって富を得なければならなかったのです。 しかし、彼らはその富を労働によって稼いだりする必要はなかったのです。

ついに、イスラエルは乳と蜜の流れる約束の土地に着きました。 イスラエルの民は本当に不可能だと思えるような征服を、エリコにおいて、いとも簡単に勝利を得ました。 それから彼らは間違いを犯し始めたのです。 

 

プライド

ヨシュア 7:1

「しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。」

なんとイスラエルの民は神の教えに従わなかったのです。 あなた自身が神よりも優っていると考えていなければ、進んで神の教えに背くようなことはできないはずです。 実際には、あなたの行動をとうして、あなたは神よりも多くのことを知っているのだと言っているようなものなのです。 これこそプライドなのです。 、

ヨシュア 7:3−4

「彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。 ”民を全部行かせないでください。 二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。”  そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。」

ヨシュアはエリコにおいて容易に勝利を得ることをできたので、調子にのり、アイを攻め入ることに関して人々の意見を受け入れました。 アイの軍勢は非常に小規模なので、すべての軍隊を連れてゆく必要はないと考えたのです。 

人々はヨシュアに二、三千人ぐらいを上らせばいいでしょうと助言しました。聖書にはヨシュアがアイを攻め入ることに関して、主からの助言を求めたとはどこにも述べられていないのです。

あなたもこんな間違いをしたことがありませんか? 特にあなたがヨシュアのように成功して、調子にのっているならば、とくに間違いをしやすいのです。  イスラエルの民はエリコにおいて不可能なことを達成できたなのです。 ですから、アイを攻め入ることなど、簡単だと考えたのです。 彼らは最初の成功体験をとうして傲慢になってしまったのです。

 

一人の人物

 

ヨシュア 7:5

「アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。」

イスラエルの大軍隊の中のたった一人が罪を犯したため、その後のさらなる戦いの場において、イスラエル軍全体に様々な問題が引き起こされました。 以前は無敵であった彼らが、神の助けえを失い、ただの人達となってしまいました。 

アカンの罪のために、戦いにおいて罪ない人が死んでゆきました。 たった一人の人のしたことが、他の全体の人々に影響を与えました。 このようなことはよく起こるのです。   

Tコリント 12:26−27

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」

 

問題の解決

イスラエルの民は、もはや神からの助けを得ていないと気づいたとき、落胆しました。 イスラエルの民は神の助けなくしてはその約束の土地の巨人を倒すことなど、到底できるものではないと良く知っていました。、

ヨシュア 7:6,10−12

「ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。」

「主はヨシュアに仰せられた。 ”立て。あなたはどうしてそのようにひれ伏しているのか。 イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。 だから、イスラエル人は敵の前に立つことができず、敵に背を見せたのだ。 彼らが聖絶のものとなったからである。 あなたがたのうちから、その聖絶のものを一掃してしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。”」

神の民が滅びるのは、神が失敗されるからではないのです。 今日おいてもこのようなことは、周り起きていないでしょうか。 イスラエルが神の前にどうどうと立つことができなかった理由は彼らの不従順が理由だったのです。

ヨシュア 7:13−15

「立て。民をきよめよ。 そして言え。 あなたがたは、あすのために身をきよめなさい。 イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。 ”イスラエルよ。 あなたのうちに、聖絶のものがある。 あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで、敵の前に立つことはできない。 あしたの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。 主がくじで取り分ける部族は、氏族ごとに進みいで、主が取り分ける氏族は、家族ごとに進みいで、主が取り分ける家族は、男ひとりひとり進み出なければならない。 その聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破り、イスラエルの中で恥辱になることをしたからである。”」

神のなされた問題の対処方は生易しいものではありませんでした。 神はイスラエルの中に罪がある限り、彼らを祝福することができないということを明らかに示したのです。 神は違反者を取り除かれるように言われました。 

 

アカンは捕まりました

ヨシュア 7:19−21

「そこで、ヨシュアはアカンに言った。 ”わが子よ。。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。”  アカンはヨシュアに答えて言った。 ”ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。”」

アカンは神から彼の罪を隠すことはできませんでした。 彼の罪は暴かれ、彼は自分の犯した罪を告白しました。 彼の罪は、明確に述べられている神の命令に背いた罪なのです。 

 

罪の根

アカンの罪の根本的な原因は貪欲、プライド、不信仰にあったと思われます。 

プライド、なぜならアカンは自分のやり方が神の示す方法よりも優れたと思っていたからでした。

貪欲、なぜなら、神がもってはならないというものを欲しがったからです。

不信仰(または恐れ)、 なぜなら、アカンは、将来神によって、本当に祝福を受けるとは考えなかったのです。 アカンは、もしもの場合に備えて、自分が得たものを隠しもったのです。 

 

アカンの最後

「ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。 そこでヨシュアは言った。 ”なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。” 全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。 こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」

結果的に、アカンにとってまったく益にならない結末になってしまいました。 神の御言葉に背くことは絶対にあなたに利益をもたらさないのです。 一時的にあなたは得をするかもしれません。 しかし、結果的にみると、神に背いて得するようなことはありえないのです。